旅に行き隊! 旅行記、写真、旅ガイド。Googleマップを利用して世界の国々や地球の自然、観光名所を紹介。
HOME 地理雑学 おもしろ画像 旅行記(国内) 旅行記(海外)
海外情報 [ヨルダン]

バラ色の都市ペトラ

ヨルダン

かつて探検家たちが「ローズ・レッド・シティ」と称え、英国の詩人ディーン・パーゴンは「時の刻みと同じくらい古いバラ色の都市」と称賛したペトラ。岩壁の奥に広がる都市空間には、列柱通りを中心に神殿や円形劇場、商人の邸宅など数々の遺跡が並びます。

そのペトラがバラ色に輝く最も美しいといわれる時間は、午前10時から11時です。特にこの時間帯のエルハズネは、まるで赤みがかったピンク色の真珠が輝いているかのようです。

旅行時期 [2004年5月]

ペトラ遺跡の写真(3)


【ファサードの道】

エルハズネの見学後、ペトラ中心部へ向かうためエルハズネから伸びるファサードの道を進みました。この道のまわりには、家屋または政府関係の建物として使用された遺跡があります。

時刻は午前10時を過ぎたころ。日差しがとても強く、急に暑くなったように感じました。しかも、涼しかったシークとは違い、ホコリまみれの熱風が吹きつけてきました。


【ネクロポリス(墓地群)】

ローマ円形劇場の手前にはネクロポリスがあります。ここには、それほど裕福でない人々のための小さな墓地がたくさん並んでいます。これら無数の墓地はすべて岩をくりぬいて造られたものです。


【ローマ円形劇場】

ペトラのローマ円形劇場は、ナバテア人によって西暦1世紀ごろ建造されました。その後拡大し、ローマ人によって改修され、現在の形になったといわれます。ローマ円形劇場は客席が33段、約3,500人を収容できました。

もとはネクロポリスと同様、ナバテア人の墓地でした。岩を削って造られた巨大な劇場は娯楽施設というより、葬儀のための施設と考えられています。


【アル・フブサ山に刻まれた王家の墓】

ペトラ遺跡の中心部

上の写真はエルハビス博物館からの眺めです。中央の緑の木が生えている場所が、ニンフェウム(噴水の跡)です。ここには公共の水飲み場がありました。そしてニンフェウムから右下に伸びる道が列柱通り、そして凱旋門へと続きます。

このあたりはペトラ遺跡の中心に位置し、ローマ時代の市街地跡になります。道の両側には神殿や宮殿、役所、公共浴場、商店街などが並んでいました。


【大寺院】

列柱通りを挟んで北側の丘(写真上部)には翼を持ったライオンの寺院が、南側(写真手前)には大寺院があります。大寺院と名付けられましたが、実際、寺院だったのか政府関係の建物だったのかは、はっきりしていません。

翼を持ったライオンの寺院では、ズゥ・シャラー神のパートナーである女神エル・ウッザが崇拝されていました。


【アル・ビント城】

凱旋門を通り抜けるとアル・ビント城が見えます。ファラオの娘の城(Qasr Al-Bint Firaun)という意味ですが、ナバティア人の主神、ズゥ・シャラー神を祭っていた神殿です。黄色い砂岩のブロックを積み重ねてできており、外壁は幾何学的な模様で装飾されています。高さ23m、奥行き38m、幅36m、紀元前30~紀元40年に建造されました。


【ペトラの水利システムとは?】

ナバテア人はとても高度な水利技術を持っていました。固い岩をくりぬいて造った貯水槽、石造りのダム、岩の水路や陶製の水道管などです。

年間降雨量が150ミリしかない砂漠の奥地に、約3万人の人口を持つ都市を築けたのも、水を安定的に供給できるシステムがあったからでしょう。上の写真は水路やダム、貯水槽が入り組んで刻まれた崖です。このようなナバテア人が考案した水を集めて利用する施設や技術には、たいへん驚かされます。

(次ページ、古代ナバテア王国の都ペトラの発見に続く)

ペトラ遺跡のご案内

名称 バラ色の都市ペトラ - ペトラ中心部を紹介
場所(所在地) ペトラ 地図で確認
国名(地域名) ヨルダン
備考

関連記事・参考情報

お出かけ時の注意について

各記事の内容は掲載時の情報です。現状では異なる可能性があります。
営業時間や料金など変更になっている場合がありますので、
お出かけの際は、公式サイト等で最新の情報をご確認ください。

サイト内を検索する
▲このページのトップへ